カウンセラーとしての必要十分条件について語ります。

2011年2月22日 sodan119 | |

日本では、カウンセラーという仕事は、まだまだ認知度が低いと私は思っていますが、日本の状況は、カウンセラーを必要とし、その認知度も高い欧米諸国と比べても、ストレス要因は並大抵ではなくなっていますから、今後、カウンセラーの認知度はますます高まってくると思っています。精神科や心療内科の精神薬の処方だけでは、すでに限界が来ていると感じていますので。勿論、そんな社会が好ましいとは思ってもいませんが、心の病は、ある意味、文明病でもあるわけですから、私たちも引き受けなければならない負の要素ではあるのでしょう。

さて、カウンセラーとクライアントが向き合うとします。当然のことですが、カウンセラーというのは、クライアントの相談内容を解決するために存在するのですから、クライアントの訴えを真剣に聴きます。これを一般に傾聴と呼んでいるのですが、多くのカウンセラーは、この傾聴によって、クライアントご自身の気づきを狙っています。そうすることで心の重荷を取り除こうというわけです。ですから、この段階のことをカウンセリングの役割だと認識しているのが通常の姿ですが、私は違います。私にとってのカウンセリングとはあくまでクライアントの訴えの中から、問題解決のための具体的な方法論や助言をするのが、獲得目標なのです。その意味で、私の考えでは、具体的な解決方法や、助言なきカウンセリングは、存在自体、無効だと思っています。

具体的な助言をクライアントの言葉の中から汲み取るとすれば、当然のことですが、クライアントを取り巻くバックグラウンドに関しても詳細な聴き取りの対象になります。訴えの内実の掘り下げと同時進行で行っていくことですから、これには、私なりのかなりな集中力が必要となります。ですので、カウンセリングは、精神科医の治療に付随する単なる癒しというお考えで、私のところに来られるクライアントにとっては、ある意味、しんどいカウンセリングだという認識を持たれるかもしれません。しかし、傾聴によってクライアントご自身の気づきに賭けるようなカウンセリングですと、時間と費用があまりにたくさんかかってしまいますので、それならば、リラクゼーションサロンにでもおいでになるほうがマシかもしれません。私はあくまで問題解決が主目的で、カウンセリングに取り組みます。それでよろしければ、どうぞ、いらしてください。

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不幸の連鎖?そんなものはありませんよ。

2011年2月19日 sodan119 | |

ご自身の人生において、あまりよい出来事が起こらない時期ということはあり得ます。また、そういうときには、よくないことが、次々と連続して起こるのも現象的には事実としてあるでしょう。ある意味、これは当然のことだと言えます。

不幸と云うのは、連鎖的に起こると考えたくもなりますし、誰もが何か運命的な、あるいは宿命的にそういう不幸を身に受けるのではなかろうか、とか、ヘタをすると、インチキな新興宗教に身をゆだねたくなるような心境に陥ることだって、とりたててめずらしいことではありません。

しかし、このような考え方に陥るのは、別の角度から見てみますと、人生とは、順風満帆、がんばれば、すべての道が切り開けるというような素朴な人生観が底にあるのではないでしょうか?世の中が、そういう純朴、素朴な前進志向を実現し得るような仕組みになっている時代背景や社会背景があるときは、勿論、この種の考え方で通用しますし、必ずやご自身で解決可能な問題ばかりで、心を病むことなどないでしょう。

ところが、そういう個人のがんばりでは、どうしようもないことだって起こります。特に社会的・経済的基盤が脆弱になればなるほど、個人がいくらがんばっても、社会の大きな潮流のなすがままに流されてしまうということはしばしばあります。いくらご自身ががんばっても、世の中の変化の中で、会社の業績が極端に悪くなることもあるでしょう。終身雇用制度は終わりました。不条理なリストラの憂き目に遭うことだってあります。仕事で挫折すれば、ご自身の家庭環境にもその影響は出てきます。まさにいろいろな不幸が連鎖的に起こるかのように感じられます。わが身の不幸を呪いたくもなりますが、しかし、これをご自身の運命だとか、宿命だと考えてはいけません。これは単なる状況の変化ですから、状況を変える視点を持ち、その上で改善の道を探るのです。こんなことで、心を病んで折れてしまうことはありません。むしろ心が折れる前に、カウンセリングを受けてほしいものだと思います。そうすれば、キャリアカウンセリングの段階で、確実に立ち直ることも出来ますし、これまでのご自身の人生に対してマイナスの評価を下すこともないからです。うつ病などは、事前に防げるのです。

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恨み、つらみを言い難い人に伝えるのも大きな心の解放なのです。

2011年2月13日 sodan119 | |

成育歴の中で親御さんや、祖父母の方々がよかれと思って、ご子息やお孫さんに対して意識的、無意識的になしてきた言動というものがあります。無論大抵の場合は、よい意味で働いているのですが、中にはクライアントご本人にすら意識できないほどの心の深層の中に隠れている負の感情が生じていることがあります。ご家族ですから、表面的にはなかなかその負の感情が表出されないのです。だからこそ成長するまでの長い間に少しずつかさぶたのようにクライアントの心を閉ざしていく要因にもなるわけです。明確な反抗期の現れる人は、幸いです。こういうときに、もしも、心の中に負の感情がたまっていた場合、親御さんにとっては降って湧いたような不幸な感情に支配されることでしょうが、これはお子さんにとっては、意味のある反抗の理由があるわけですから、しばらくはご辛抱ください。

さて、問題は、ご両親にとっては、むしろ育てやすかったと感じているお子さん方の中に、成長してから、深い心の闇の中でもがき苦しみ、人づきあいがうまく出来ず、引きこもったり、あるいは、あらゆる心の病を患う可能性が高い人が混じっているということです。当然、ご両親の戸惑いはたいへんなものになります。これまでのお子さんのイメージと、深い心の闇を抱えてしまったお子さんとのイメージのギャップが大き過ぎるからです。

このような方々がクライアントして、私のもとにお越しになった場合、カウンセリングで見極めますが、もしも、クライアントご自身の内奥の苦しみを、たとえそれがご両親やご親戚の方々にとって手痛いものであれ、表出した方がよい、と判断した場合は帰宅した後に、ご自分の言葉で語るのが大抵は難しいので、私の分析の言葉として、伝えてもらうこともあります。ご両親にとってみれば、私というカウンセラーはとんでもない人間だという誤解を生じることもあり、お電話を頂くことがありますが、そういうときは、丁寧に説明をするようにしています。いずれにせよ、私個人にとっては、かなり不条理な役割を背負うことになるのですが、それもよしか、という想いでこの種のクライアントとカウンセリングを行います。カウンセリング終了後にすぐにご両親に伝えることは逆によろしくない場合が多いのです。何も知らない状態で、両者が対峙する方がクライアント本人が自己表出するときに、心の闇に隠れているファクターを感じとりやすい場合が多いからです。カウンセラーもたいへんなことが多いのです。

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社会不安障害だとか、適応障害だとかという診断をされますけれど。

2011年2月10日 sodan119 | |

人の中に出て行くことが苦手だとか、集団の中でつい、浮いてしまうことがある、と心配されて、学校や職場にいることに非常な苦痛を感じる人がいますね。精神科で、このようなことを訴えますと、すぐに抗不安薬か、ひどい医師になると、沈静効果を狙ってか、統合失調症の薬まで処方するようなこともめずらしくありません。無論、後者の場合などは、論外ですから、すぐに統合失調症のお薬などは止めるべきです。

ものごとには、いろいろな側面があるということを、私たちはついつい忘れがちです。他者が苦手だと思うと、もう自分は世の中に不適応反応を起していて、社会人として勉強することも、働くことも出来ないと思いこんでしまいます。しかし、よく考えてみてください。他者が苦手だという意味ですけれど、殆どの場合は、ご自分をとりまく人たちの気持ちを損ねないか、という心配が膨れ上がるときです。ここで、自分はダメだ、と思いこんでしまうと、もう、社会から退散してしまうという憂き目に遭うことになります。その結果、いろいろな精神薬を試すことになりますが、実のところは、こういう場合の治癒とは精神薬の効用ではなくて、心も体も疲れているので、しばらく休養すればまた、エネルギーもたまってくるのです。自然にそうなります。

最も大切なことは、ご自身の個性として、他者が苦手というときに、それを人並みすぐれて繊細なご自分の良き点として受け止めることが出来るかどうかが、決め手です。ここを自己否定してしまうと、社会離脱ですし、また精神薬のお世話になることになります。また、そうなると、自信も喪失してしまいますから、立ち直りにはかなりの時間がかかります。上記のような診断を受けたら、まずはカウンセリングに。そうして、ご自身の良き点を再認識することに目を向けるのです。そういうお手伝いをするのが、カウンセラーの大切な仕事でもあるわけですから。

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精神医療の限界が来ていると思います。

2011年2月 9日 sodan119 | |

街のあちこちに精神科や心療内科が出来て、確かに精神疾患に対する偏見は少なくなりました。病状が悪化するまえに、治療を受けて水際で引き返してくることが出来るようになりました。精神薬の開発は目を見張るものがあります。その効用も否定できません。

しかし、カウンセラーとしては、意見があります。精神科にかかっていても何らの進捗もないまま、どうしようもなくて、カウンセラーを頼ってくださるクライアントさんが昨今増えてきました。私は、クライアントさんが精神科にかかっている場合は、必ず処方されたお薬を持参していただくか、あるいは、処方箋を見せてもらいます。勿論そうであるかぎり、精神薬の効用と副作用に関しても、かなり深い勉強をしておかねばなりません。また、複数の科目の医師にかかって、お薬を服用している場合がありますので、お薬一般の知識が必要です。その学習のために費やす時間はかなりなものになりますが、大切なことだと思ってやっています。無論、カウンセラーとしての私には、お薬の処方は出来ませんから、クライアントさんにとって妥当な処方がなされているかどうか、を確かめるための学習です。カウンセラーは、精神薬に限らず、他の科目のお薬についての知識を蓄積しておく必要があると、つくづく思います。

さて、カウンセラーを頼ってきてくださる方々は、精神科医の診察について大きな疑問を持っておられる場合が殆どです。まずは患者の話を聞ける診察時間ではないということ。そういう問診で、お薬を処方するのです。私から見ても明らかな誤診があります。たとえてひとつ例を挙げるならば、単なる気分障害の方に対して、統合失調症のお薬を処方していることだってめずらしくはありません。もちろん、統合失調症のお薬には、気分を安定させる効用もありますが、その意味がまったく違うわけです。私から言わせると、あまりに安易にお薬を出し過ぎます。また、患者さんの訴えに対して、出来ないことを平気で診断と称して命令的に言いますから驚きです。これでは、苦しんでいる患者さんのお薬の処方屋さんに過ぎなくなります。私が信頼しているごく少数の優秀な精神科医を除くと、殆どがこのような実態なのです。困ったものです。ますますカウンセラーの必要性、存在理由が重要になってきていると感じます。精神科医に雇用されて、医師の問診の下請けをしているようなカウンセラーなら必要ありません。きちんとした具体的な助言が出来るカウンセラーが、これからはますます必要になってきているのだ、と思います。私はカウンセラーになった日から、ある意味、傾聴はしますが、それだけに終わらない異端の人間でしたが、いまは私のカウンセリングの方法論が正当か、と思っています。

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